続・隗より始めよ

利尻島より発信中

幼児期のトラウマに気付く

time 2013/12/03

30年以上も、母と暮らしたことがない私にとって、今回の帰省はかなり苦痛。
最初の一週間は、息が詰まって逃げ出したくなるほどだったけれど、今はなんとか落ち着いている。
でも、味覚の違いだけは擦り合わせることができない。
何を食べても、味が極端にしょっぱいのだ。
特に煮物はやばい。
同じ味で中身が違うだけのしょっぱい煮物は、どう頑張っても私の口には合わない。
おまけに、しょっぱいなどと言おうものなら、ものすごく不機嫌な顔でふてくされる。

それだけ味の濃いものを食べていながら、テレビ真理教の母は、いろんなものを買ってきては『これが身体に良さそう』だといつも何かを食べている。
極力食べないことの方が、どれだけ身体にいいかなど説明する気にもなれず、ストレスを感じながらの食事は、ある意味拷問に近い。
私はこういう環境下で育っていたんだ、と思った。

父も糖尿病を患っていたにも関わらず、この食事を続けられていたとしたら、早死にしても仕方あるまい。
母親との関係は私の一生の課題だけれど、久しぶりの長い同居で様々なことに気付くことができた。

2700g、と小さく産まれた私は、とにかく周囲から食べさせられた。
まさに時代も高度成長期、商売人の父の羽振りも良く、外食三昧で育った。
それなのに両親は不仲で、365日、24時間喧嘩ばかりという、今にして思えば悲惨な子供時代を過ごした。

食べている時だけが、争いがない。
知らず知らずのうちに、食べてさえいれば幸せ、という回路が刷り込まれたのではないだろうか。
母の味って懐かしく感じることが多いだろうに、今の私は結局、何を食べてもおいしくないと感じてしまう。

ただでさえ、幼い頃の記憶が少ない私は、学生時代毎日食べていたお弁当のおかずさえ、たいして思い出せない。
それほどまでに思い出がないということだ。

イヤなことから逃れるために食べる。
これも私をデブにさせていた要因の一つだった。
味覚がはっきりしてきた今でなければわからなかった。

三つ子の魂百までとは、本当に良く言ったものだ。
気付かなければ一生デブなまま。
くわばらくわばら。

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